ものの上達のあり方であり、人間関係のあり方。進み方。
「守」:まず基本をに忠実に守る。
「破」:基本を身につけた上で、試行錯誤し、自分の工夫を加える。
「離」:自分らしさ/強み/スタイルを確立していく。
守→破→離と進んでいく。
■言葉では簡単だが、体験に伴う実感が要となる。
促成できない感覚でもある。
■「守破離」はスポーツの練習や、熟達の段階を示して使うことも多い。
■マナーも同じ
身近なところでは、“マナー知らず”と“マナー破り”の違いを観るとイメージがつきやすい。
(あるいはKY[空気読めない]とAKY[あえて空気読まない]の違いを考察すると判りやすいかも知れない。)
■アウフヘーベンの東洋版か?
■人間関係関係も同じ。
例えば恋愛。
憧れから燃えるような恋、→いろいろなな欲求も含みつつ愛を形成、→やがて成熟されたパートナーシップ(自他共に生きる愛/愛するための愛)への変遷にも似ている。
人間関係の場合は“離”を「(同じ方向に)共に歩む/共生」と解した方がよい。
■別の見方をすると
→
学習-3//
一つの文章を紹介したい。
『もりのいえ 山暮らし日記』
“故ターシャ‐テューダーに想う 08.07.02.”
(by:masan)
http://maasan.blog19.fc2.com/blog-date-20080702.html(時間も、場所も、生死さえ越えることができる関係があることを示唆していないだろうか。)
2008.07.08.