『タモリ』こと森田一義氏は、大分のボウリング場の元支配人。
オチャメな支配人だったのだろうか?
2007.05.
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タモリが恩人・赤塚さんに追悼メッセージ
2008年8月5日9時32分配信 デイリースポーツより転載
「笑っていいとも」の司会でもおなじみのタレント・タモリ(62)が4日、2日に肺炎のため死去した漫画家・赤塚不二夫さん(享年72)への惜別の思いをコメントした。現在は押しも押されもせぬ人気者のタモリだが、不遇の時代に赤塚さんに発掘され、赤塚さん宅に居候するなど、30年以上親交を温めてきた。タモリは「先生ありがとうございました」と恩人への感謝の気持ちを明かしている。
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タモリと赤塚さんとの出会いは1970年代にさかのぼる。ジャズピアニスト・山下洋輔さんが赤塚さんに「九州に面白い男がいる」と当時、
ボウリング場の支配人をしていたタモリを紹介。赤塚さんが「交通費は自分が出すから」とタモリを東京に呼び寄せたのが親交の始まりだった。
タモリの芸を見た赤塚さんはその才能に驚き「彼を九州に帰してはいけない」と自宅に居候させ、小遣いを渡し、生活の面倒を見た。赤塚さんはタモリを弟のようにかわいがり、多くの芸能関係者に紹介。その後、赤塚さんはタモリらと「面白グループ」を結成。注目を集めたタモリは82年に「笑っていいとも」の司会者に抜てきされ、今や「テレビ界の巨人」と呼ばれるまでになった。
赤塚さんが死去した2日、タモリはレギュラー番組の「タモリ倶楽部」(テレビ朝日)のロケ中だった。恩人の突然のふ報に衝撃を受けたが、タモリは仕事に打ち込み、この日まで沈黙を守っていたという。
タモリは「私がこの世界に入ろうとした時に、突然私の前に現れて、デビューのきっかけを作り、その後の物心両面での援助は肉親以上のものでした」と振り返り、「あれから32年が過ぎました。色々な出来事、その場面が頭に浮かんでいます」と一言では語れない、共に過ごした青春の日々を吐露。赤塚さんを「私の恩人」と呼び、「ここに改めて感謝し、ご冥福を祈ります。先生ありがとうございました」と結んだ。
タモリはこの日も通常通り「いいとも」に出演、悲しみをこらえ気丈に司会業をこなした。恩人との最後の別れとなる通夜や葬儀にも多忙なスケジュールを縫って駆けつけるとみられている。
2008.09.