1950年代、1960年代、ボウリングのピンは人の手で立てられていた。
ピンを立てる係りの人のこと。男性が受け持つ仕事だった模様。
すみさんのページにも、当時の状況が書かれている。
xxxxxxxxxxxx
1960年[昭和35年]までは手動式時代でした。
今はメカニックマンですが、当時はピンボーイが手でピンをバケットに押し込み立てていました。ボールも手で、滑り台の反動をを利用してボウラーの手元に返していたのです。
1人のピンボーイが2レーンを担当するとき、同時投球されますと、どちらのお客さまに対し、先にピンをセットし、ボールを返して良いか分からなくなります。同時投球の禁止(右側優先は間違いです)というエチケットは、このようにピンボーイに対する配慮から生まれたものなのです。エチケットにも発生理由や歴史があるのです。
客の立場でセンターに行きます。投球を開始する前、ボールの親指の穴に100円札を1~2枚入れて、「オーイ!いくぞ!」 なんてピンボーイに声かけてガターなどに転がすのです……(以下略)
『日本に初めてボウリング場ができた頃』 より転載
すみ光保のボウリングエッセイxxxxxxxxxxxx
昔のことと思いきや、時は2009年……。
楽しい解説&その他の画像はねこ46oさんのページへどうぞ。
Eco ピンセッター
帰ってきた 46o blog2010.06.13.